2016年6月23日は後世に残る歴史的な日となるでしょう。イギリスが実施したEU離脱の是非を問う国民投票は「離脱」という予想外の結果となりました。それではなぜ英国民の多くがEU(欧州連合)からの離脱を支持するに至ったのでしょうか?巷間移民問題を理由とされることが多いですがそれだけではない根深い問題を孕んでいるように感じられてなりません。
前の記事:【第2回】GDPは?成長率は?EU経済の過去と現在
イギリス「EU離脱の是非を問う国民投票」の結果を検証する
まず、国民投票の結果を見ていきましょう。
英国民投票 離脱 vs 残留 投票数と得票数
The Daily Telegraphを基に作成
投票総数約4650万票から無効・白票・投票せず約1295万票を除いた有効投票が約3355万票。
このうち離脱の得票数が約1741万票、残留の得票数が約1614万票とその差約127万票で離脱に決定しました。
これらを率で表すと以下のとおりになります。
英国民投票 離脱 vs 残留 投票率と得票率
The Daily Telegraphを基に作成
投票率は約72%となっており、今回の国民投票の関心度の高さがうかがえます。
離脱の得票率が約52%、残留の得票率が約48%とその差約4%。
このように得票率で比較すると僅差で離脱が残留に勝利したことがわかります。
それではもう少し詳しく見ていきましょう。
ここからはイギリスの富豪で、保守党国会議員であったマイケル・アシュクロフトが国民投票後、投票日当日に行った世論調査(調査対象者数:12,369人)を基にお話していきます。
まずは巷間よく取り沙汰されている世代別の得票率です。
英国民投票 離脱 vs 残留 世代別の得票率
Lord Ashcroft Pollsを基に作成
一目見てわかるのは若年層が残留優位なのに対し、中高年層が離脱優位であることです。
また、これに各世代の投票率を加えると以下のようになります。
英国民投票 離脱 vs 残留 世代別の投票率と得票率
the guardianを基に作成
若年層の投票率の低さと中高年層の投票の高さが明確なコントラストを描いています。
このように得票率以上に投票率の差が顕著となっており、世代間対立を煽るつもりはありませんが、一定以上はシルバーデモクラシー(※)の側面があることは否定できないでしょう。
※ シルバーデモクラシーとは有権者のうち、高齢者が占める割合が高いため、高齢者の意見が過剰に政治に反映されやすい状態のこと。
次に社会階級別の得票率です。
社会階級というと日本では馴染みがないかと思いますが、イギリスは歴史的に階級社会とであるとされており、相対的に社会階級が明確に区分されている国ですので、今回の国民投票が社会階級別にどのような得票率の分布となったか見ていくのも非常に重要です。
英国民投票 離脱 vs 残留 社会階級別の得票率
Lord Ashcroft Pollsを基に作成
注:A-上位中流(富裕層や英国教会の指導者など)B-中位中流(銀行頭取や医師、軍人など)C1:上位下流(銀行員や農園所有者、学生など)C2-中位中流(熟練工や農園の雇われ人など)D-中位下流(非熟練工や郵便配達員、漁師など)E-下位下流(失業者や生活保護世帯など)
ABといういわゆる中流に位置する方たちが残留優位である一方、C1・C2・DEといういわゆる下流に位置する方たちが離脱優位であることがわかります。
とくにC2やDEの方たちは残留が6割を超える得票率となっていますので、EUに与している現状に対する不満が相対的に大きいと見ることができるでしょう。
さらに支持政党別の得票率を見ていきます。
英国民投票 離脱 vs 残留 支持政党別の得票率
Lord Ashcroft Pollsを基に作成
英国独立党(UKIP)は結党の目的がイギリスがEUから脱退することですから、支持者の得票率は当然離脱の得票率が100%近くに上っています。
二大政党の保守党と労働党については、最大政党である保守党の支持者の得票率が離脱優位である一方、労働党の支持者の得票率は残留優位となっています。
ただ、両者ともに党の統一的な姿勢を打ち出すことができなかったために、英国独立党(UKIP)支持者のように一方に独占的な得票率とはならず、票が割れてしまったというのが実情といえるでしょう。
ちなみに現在(2016年6月末)の庶民院(下院)の各党の議席数とその割合は以下のとおりです。
イギリス議会・庶民院(下院)の政党別議席数と議席シェア
the guardianを基に作成
最後に地域別の得票率を見ていきます。
イギリスは大別すると以下のようにイングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランドの4つの地域に区分することができます。
イギリスの4つの地域
上図で青で塗っている地域は離脱優位、赤で塗っている地域は残留優位です。
ちなみに細分化して地区ごとに見ていくと上図よりも青と赤が入り混じることになりますが、ここでは4つの地域区分で塗り分けていますので、この点はご注意ください。
一目見てイングランドとウェールズが離脱優位、北アイルランドとスコットランドが残留優位であることがわかります。
もう少し詳しく各地域の得票率を見ると以下のとおりです。
英国民投票 離脱 vs 残留 地域別得票率
Lord Ashcroft Pollsを基に作成
イングランドとウェールズが離脱優位ながらも、残留との得票率の差が約4%に止まるのに対し、北アイルランドとスコットランドが明確な差(北アイルランド約12%、スコットランド約24%)をつけて残留優位となっているのが見て取れます。
国民投票後にスコットランドがイギリスからの独立の是非を問う住民投票に踏み切る姿勢を見せていますが、この結果からすると自然な流れといえるでしょう。
もっとも、スコットランドがイギリスからの独立を果たすよりも、スコットランドの動きに感化されて北アイルランドがイギリスから独立しアイルランドと統合することのほうが実現可能性が高く、イギリスにとっての脅威といえるのかもしれませんが・・・。
ここまで世代別、社会階級別、支持政党別、地域別にそれぞれの得票率(や投票率)を見てきましたが、これら投票行動から今回の国民投票の結果が僅差ながら離脱に決定した要因をまとめると以下の3点になります。
1 相対的に離脱を支持した中高年層が若年層を上回って実際に投票したため。
2 社会階級別で下流に位置する労働者等が相対的に離脱を支持したため。
3 二大政党の保守党と労働党が党の統一的な姿勢を打ち出せず、両党の支持者の票が割れたため。
ここでもう一点、あまり日本で議論されることが少ないように見受けられますが、離脱と残留どちらに投票するかの判断時期が有権者それぞれでどうであったかを見ていくと興味深い結果となっていますのでお伝えしておきます。
英国民投票 離脱 vs 残留 有権者の投票判断時期
Lord Ashcroft Pollsを基に作成
上図からわかるのは、まず離脱と残留、どちらに投じた有権者も4割弱(離脱約36%、残留約39%)は「以前から」投票判断をしていたということです。
これに「1年以上前」と「今年初めに」投票判断をした有権者を加えると、どちらに投じた有権者も6割弱(離脱約58%、残留約57%)という結果が得られています。
ということは、残りの約4割の有権者は「先月」や「先週」、「ここ数日」、はては「投票日」に投票判断したということです。
とくに「投票日」に投票判断した有権者が各々約1割(離脱約9%、残留約10%)いるということは見逃せません。
今回の国民投票の結果は得票率で約4%という僅差での離脱決定ですから、投票判断時期が遅かったどちらに転んでもおかしくない有権者の投票行動次第では残留に決定していても何ら不思議ではなかったといえるでしょう。
この点からすると、国民投票という手法そのものに対する疑問符をつけざるを得ないかもしれません。
イギリス国民がEU離脱を決定した本当の理由
国民投票という手法に疑問符をつけつつも、イギリス国民がEUからの離脱という決断を下したことは歴史的な事実として残りますし、軽視することはできないでしょう。
そこで、ここからはイギリス国民がEU離脱を決定した理由についてできる限り真相に迫っていきたいと思います。
まず、離脱に投票した有権者の投票理由を見ていきます。
英国民投票 離脱に投じた有権者の投票理由
Lord Ashcroft Pollsを基に作成
約半数(約49%)が「イギリス国内に主権を取り戻す」となっています。
よく取り沙汰される移民問題、「移民と国境の管理」が約33%で次点です。
一方、残留に投票した有権者の投票理由はどうでしょうか。
英国民投票 残留に投じた有権者の投票理由
Lord Ashcroft Pollsを基に作成
4割強(約43%)が「離脱による経済的リスク」でトップ、3割強(約31%)が「欧州単一市場へのアクセス」で次点となっています。
これだけを見ると離脱派は政治的な理由、残留派は経済的な理由からそれぞれを支持しています。
こう区分すると、巷間喧伝されるように「残留派は経済的合理性を考えて冷静に判断を下したのに対し、離脱派は政治的な扇動を受けて感情に流された」という評価が妥当であるかのように見えるかもしれません。
しかし、理性か感情かといったような単純な二元論で片付けられるほど単純な話ではないでしょう。
ただ、そうはいっても国民感情というものは重要な要素であることは確かです。
そこでまずは以下をご覧ください。
EU圏の国別”自らを「欧州市民」と感じている人の割合”(2015年)
Eurobarometer84を基に作成
上図は国民としてではなく”自らを「欧州市民」と感じている人の割合”を表したものです。
ここではEU圏の中で経済規模(名目GDP)の上位6ヵ国とEU加盟28ヵ国平均を示しています。
EU平均が約64%であるのに対し、スペイン(約75%)、ドイツ(約74%)、オランダ(約67%)の3ヵ国は上回っており、フランス(約61%)、イギリス(約52%)、イタリア(約49%)は下回っています。
とくに下位2ヵ国であるイギリスとイタリアは国民の半数前後しか自らを「欧州市民」と感じていません。
このようにイギリス国民は今回の国民投票前から「欧州市民」としての意識が相対的に希薄であったといえます。
その中で、離脱に投じた投票理由の半数近くを占める「イギリス国内に主権を取り戻す」についてどう捉えれば良いのでしょうか。
”取り戻す”ということは現状でこれをEUに奪われているという感覚に陥っていることになります。
この点について現実はどうなのか検証してみます。
まずEUの意思決定機関の仕組みを表すと以下のようになります。
EUの意思決定機関の仕組み
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
上図の詳細な説明は省きますが、欧州理事会、欧州議会、EU理事会、欧州委員会、欧州対外活動庁、どの機関をとっても議長や委員長などのトップにイギリス出身者がいないことをまずご確認ください。
その上で、各々の機関の人員構成について、ここでは欧州議会を例に見ていきましょう。
欧州議会の国別議席数
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
欧州議会の議員は5年ごとの直接選挙で選出され、現在(2016年6月末)総数751議席で構成されています。
議席の多い上位5ヵ国を並べると上図のようになり、ドイツ(96議席)、フランス(74議席)、イタリア(73議席)、イギリス(73議席)、スペイン(54議席)という順になります。
また、欧州議会の国別議席数を割合にすると以下のとおりです。
欧州議会の国別議席シェア
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
こう見ていくと、イギリスはイタリアと並ぶ3番手であり、割合でみても10%近くに上りますから、決してEUの意思決定に関して他国に劣後しているわけではありません。
しかし、これには重要な見落としがあります。
それはEUの意思決定に際して、単一通貨ユーロを採用しているユーロ圏の国であるか、採用していない非ユーロ圏であるかによって意見が多数派と少数派に分かれてしまうことが少なくない点です。
現在(2016年6月末)EUに加盟している28ヵ国のユーロ圏と非ユーロ圏は以下のとおりになります。
EU ユーロ圏 vs 非ユーロ圏
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
上図のようにEUに加盟している28ヵ国のうちユーロ圏は19ヵ国、非ユーロ圏は9ヵ国となっています。
つまり、ユーロ圏が多数派、非ユーロ圏が少数派となるわけです。
イギリスは自国通貨ポンドを採用しており、非ユーロ圏にあたりますから、この区分けからすると少数派に該当します。
これを欧州議会の議席数と議席割合に反映させると以下のとおりです。
欧州議会 ユーロ圏 vs 非ユーロ圏 議席数
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
欧州議会 ユーロ圏 vs 非ユーロ圏 議席シェア
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
先ほどの国別とはかなり見え方が異なるのがお分かりいただけるかと思います。
これは欧州議会に限ったものではなく、欧州理事会やEU理事会、欧州委員会の各機関でも同様のことがいえます。
このようにイギリスはユーロ圏と非ユーロ圏の括りの中では常に少数派であり、多数決が原則のEUの意思決定に自国民の意思が反映される割合はかなり限定的にならざるをえません。
これをもってイギリス国民がEUに主権を奪われているという感覚に陥ってしまっている主たる要因ということができるでしょう。
また、その中にあってEU予算の分担金の問題が出てきています。
EU予算の国別分担金(2015年)
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
上図は2015年のEU予算の国別分担金を金額の多い上位5ヵ国を並べたものです。
これを見ると、イギリスは4番手、約136億ユーロを年間で負担しています。
金額は毎年の予算総額で変動しますので、さらに国別分担金の割合を見てみましょう。
EU予算の国別分担金シェア(2015年)
EUROPA – European Union website, the official EU websiteを基に作成
上図のようにイギリスは全体の1割超、約11%とかなり大きな負担をしていることがわかります。
これでは経済的にも割に合わないと感じてもおかしくありません。
最後に巷間取り沙汰されることの多い移民問題について見ていきます。
以下をご覧ください。
イギリス 純流出入数(2005-2015)
Office for National Statistics ‘Migration Statistics Quarterly Report – May 2016’を基に作成
上図は2005〜2015年(2015年は予測値)のイギリスへのEU加盟国からの純流入数、EU加盟国以外からの純流入数、またイギリスから他国への純流出数を表したものです。
一目瞭然ですが、とくに2010年以降、イギリスへのEU加盟国からの純流入数は年々増加の一途を辿っており、EU加盟国以外からの純流入数に並ぶ水準まできています。
一方、イギリスから他国への純流出数はほぼ安定した推移となっています。
先ほどから申し上げているとおり、イギリスにとってはこれを防ぎたくてもEUの意思決定機関において少数派であるためにその意思を十分に反映させることが難しい状況にあります。
これをもってEUからの離脱を支持することになるのは自然の流れといえるでしょう。
つまり、移民問題というのは表層であって、これもまた「イギリス国内に主権を取り戻す」ことに他ならないのです。
次の記事:【第4回】日本への影響は?イギリスのEU離脱のメリットとデメリット
*目次
【第1回】崩れ去る国家ではない未来の形〜EU(欧州連合)とは何か?
【第4回】日本への影響は?イギリスのEU離脱のメリットとデメリット
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